御陣乗太鼓保存会
天正年間、上杉謙信の軍勢が輪島に攻め入った際、奇怪な鬼面をつけた名舟地区の村人が激しく太鼓をたたいて追い払ったという伝説に基づいて保存会を結成したのが1960年。
「波打ち際で見栄を切る 池田庄作氏」
日本の太鼓団体として初めてイスラエルからギリシャ、イギリス、イタリア、アメリカなど海外7カ国の公演を行ったのが1963年。この年、太鼓団体としては初めて県の無形文化財指定。松竹歌劇団「春のおどり〜御陣乗太鼓」上演。翌1964年に勅使河原宏監督の映画「砂の女」に出演。そして同年の東京オリンピック関連行事「芸能展示」と1970年の大阪万博への出演。このように結成直後からめざましい活躍ぶりで、太鼓も消耗が速く、代表の池田庄作さんが背中に太鼓を背負い、能登から電車を乗り継いでたびたび革の張り替えに来られたことを思い出します。
能登屈指の芸能として現在も相変わらずの活躍を続けており輝かしい歴史をつくってきたものは、気迫に満ちた7種類の面の威力もさることながら、保存会の皆さんのたゆまぬ芸の積み重ねがあったからでしょう。地域に伝承されてきた芸をただ守るだけでなく、絶えず進化させてきた結果が現在に至ると私は思っています。
後継者の問題など課題はあるでしょうが、いつまでも能登半島の先端に力強い太鼓が鳴り響くことを願っています。