サントリーホールに鳴り響く浅野の太鼓

去る24日水曜日、東京サントリーホールで「〜癒しのハンドフルートと圧巻の和太鼓の世界〜夢をかなえるコンサート」を鑑賞。これはトヨタ自動車が「コロナ禍において発表の場を失ったアーティストへの場を提供するとりくみ」として、昨年から取り組んでいるプロジェクトの一環。2014年から林幹さんが田川智文さんとともに大太鼓の打ち込みを約1時間にわたって行う「うねり」ライブとして申し込んだところ、採用されたとのこと。共演したのはこれまた異色のデュオで、東京音大を卒業したハンドフルートとピアノの演奏。楽器を使わず、手だけで音を奏でる文字通りのハンドフルートという奏法に驚き、相変わらずの躍動感あふれるうねりの打ち込みに感動しつつ、私は舞台中央に据えられた3尺3寸の浅野太鼓製大太鼓を眺めて、いつしか遠い追憶の世界にただよっていました。

あれは私が22歳のころ、「株式会社浅野太鼓楽器店」の前身のそのまた前身の「浅野商店」と名乗っていたころ。工場とは名ばかりの、解体した廃校舎の廃材を集めてなんとか形にした建物にトタンの屋根を葺き、夏にはおもての砂利道から砂ぼこりが舞い込み、冬にはすきまだらけの板壁から雪が吹き込む粗末な土間で、「ああ、なんとかこの貧乏から脱却し、太鼓打ちの誰もが浅野の太鼓を使いたいと、いつか言ってくれるような立派を太鼓をつくりたい!」その一念で来る日も来る日も死にもの狂いで仕事に取り組んだ日々。やがて「太鼓の里構想」を打ち立て、世界の打楽器を展示した「太鼓の里資料館」の設立、店舗と練習場を合わせた「新響館」の建設、気軽に太鼓づくりを見学できる工場の整備、女性だけの太鼓チーム「炎太鼓」の結成、そして太鼓専門誌「たいころじい」の出版。出会いに恵まれ、人に恵まれ、思い立ったことを次々に現実のものとしてきた日々が走馬燈のように脳裏をかけめぐる。そして、もっとも大きな願いだった「浅野の太鼓を一流の奏者に使っていただく」という望みも、1970年にサントリーウイスキーの当時の社長・佐治敬三さんの出資によって「佐渡の國鬼太鼓座」に納品して以来、この日本の音楽の殿堂「サントリーホール」という舞台で、先日の林英哲さんに続き、今また浅野の太鼓が高らかに鳴り響く光栄。思えばいつも「サントリー」というキーワードに励まされ、54年間走り続けて手にしたものの大きさに、あらためて無常の幸福を握りしめたひと時でした。